「反省」を考える

2014-6-21

息子の兄弟ゲンカが絶えない毎日。こう多いと正直ゲンナリします。
先日も毎度のようにケンカするふたりを叱った後、父から手渡された1冊の本。
タイトルは「反省させると犯罪者になります」、
それって、どういうこと??

著者は岡本茂樹さん。
立命館大学産業社会学部教授、臨床教育学博士。
元中学高校の英語教師で生徒指導、教育センターのカウンセラーを経験され、
現在は大学で教壇に立ちながら学生相談と刑務所で受刑者の公正支援に関わっていらっしゃいます。
これまでの経歴それぞれの立場での経験によって「反省」の仕組みを確信し、提示されたというこの刺激的なタイトルの著書は、机上の空論でない現場の声でもあります。
主に服役中の受刑者に対する支援ですから挙げられている事例の多くは「犯罪」ですが、
さまざまな事柄に対する「反省」という心理、心の動きは誰にでも当てはまるもの。

悪いことをしたら、反省させなければいけない。
それにはまず被害にあった人がどれだけ辛い思いをしたのか、理解させなければいけない。
相手の辛さがわからないから悪いことをするのだから、と。
これは誰もが、問題の解決方法として考えることだと思います。
現在どの教育現場でも、というか社会の常識として、
加害者に対してはまず被害者心理の教育→反省という図式で動いているといいます。
たとえば学校における生活指導や、いじめ防止教育など・・・

けれど実際は、何か問題が起こったとき、
被害者心理の教育 → 「反省」という順序では、真の反省に導くことはできないそうです。

加害者心理の理解 → 抑圧された本音の吐露 → 自分の理解 → 被害者心理の理解 → 「反省」

性別や年齢は関係なく人間の心の動きとして、このプロセスでないと人は反省ができないというのです。
本書はこの心理の動きをいくつかの事例を挙げながら丁寧に説明していくという構成で書かれており、同時に現在の更正プログラムの問題点を洗い出していきます。

ドキっとします。
そうです、自分も子どもが意地悪をしたとき、まず「相手の気持ち」を考えさせるよう、叱っていました。
けれど本書は、たとえ悪いことをしても、なぜそういう行動に至ったかという本人の心の動きをまず洞察しないと問題の根本的な解決にはならないというのです。
なぜ相手の気持ちがわからなくなってしまうのか。あるいは相手の気持ちがわかるのにやってしまうのか。
まずは、なぜこういうことをしてしまったかを理解させるために、一緒に考えることが肝要だと。
「反省しなさい」と放っておいてもひとりでは考えられないので、考える援助をする。
部屋にひとり閉じこもらせ、たとえ上手な反省文を書かせたとしても、それは真の反省へ導いたことにはならない。

そういえば。
こどもの言いわけを上から「ダメ」と静止することなく、
子どもから出た言葉をそのままオウム返しで繰り返す、というテクニックを聞いたことがあります。
「そう、~(子どもの言ったこと)~、なんやね。」というように、ひたすら吐き出させる。
そうすることで、こども自身が自分の気持ちを理解し考えることができると。
先ほどのプロセスと照らし合わせると合点がいきました。

そのうえ、本書は子どもにとって大人の正論ほど心を抑圧させるものがないというのです。
たとえばタバコが悪い、ということ。
万引き、あるいはドラッグが悪い、も同様です。
いずれにしても正論を押し付けることは人のこころにシャッターを閉めることにしかならないといいます。
体に悪い、依存性がある、犯罪である、というような正論を振りかざしたとして、
わかっていながら手を出してしまう子ども(大人も)がいる。
そういう人は世間から「心が弱い」とされてしまい、本人もそう思ってしまっているそうです。
自分は心の弱い人間なんだと。

では、悪いことに手を染めさせないためには、
より「心を強く」させなければいけないのでしょうか。

本書を読み進めていくと、育むべきは「強い心」というより「自分を大切に思う心」なのだと気づかせてくれます。
自分を大切に思えない人は他者も大切に思えなくなってしまう。
そして、大切に思えないから、傷つけてしまえる。
そのうえ本人が傷つくことに慣れてしまって、その痛みに鈍感になっているから、人の痛みにも気づけなくなっている。
度々「人権」についても考えるのですが、
自分を大切に思う心=他者を大切に思う心、というのは人権においても欠かせない要素だと思います。

なんでも「心が弱いから」で片付けてしまうと、問題の本当の原因が隠れてしまう。
ひとり心を強くしようとがんばり続けた結果に心が折れてしまえば意味がありません。
起こった問題を通して本人と周りのかかわりや心の動きを分析していくことで、
その問題の原因とその対処法が見えてくるのだと思います。
だとすれば周りの人間ができることとしては、悪いからダメ、と否定することで終わってはいけない。

今、いじめられている子どもが心を開けるのは、実の親でなくなっている現状を知ると、
家庭の中で大人が心の弱さを隠し、強い存在であり続けていることが、
どれだけ子どもの心に負担をかけているのかと、この現実に愕然とします。
良い母、良い父、良い子を、それぞれに演じている家族。
これって悲しすぎる。

甘っちょろいと言われそうですが、なんでも「強弱」そして「美醜」のものさしでは
ほんとうに大切な部分が見えなくなってしまうことがあると考えています。
強いこと、美しいことがいつも良しとされる世の中は生きづらい。
子どもを育てていると、問題のほとんどは本人でなくその周りにあると実感として思います。
「子どもは大人の鏡」とは、よく言ったもの。
 
 
さて、世間は何でも厳罰化へと動いているそうです。
罰を与えることの効果って、実際はどうなんでしょう。
厳罰の効果について書かれた長期にわたる実証や現場の報告書があれば読んでみたいです。

著者は犯罪(自殺も含む)の減少、再犯防止のためには、
支援側のスタンスや認識、体制を変えることが必要だと考え、
本書でこのことを世に問いたかったと、あとがきで書いておられます。
この著書の考え方に賛同できないというかたもいらっしゃるでしょうけれど、
自分的にはこれからの子育てにおいてたいへん参考になりました。

いじめ、ゲーム、スマホ、人付き合い、価値観や心のすれ違い、
これから少なからず経験するであろうハードル。
そのときの子どもの心の葛藤に、まわりの大人がどう助言し寄り添っていくのか。
ついつい「~したらアカン」と否定の言葉を使ってしまう自分に、
ブレーキをかけるよう意識しておきたいと思います。

(アツコ)

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