「にわのわ」に出展して思ったこと

2014-6-4

5/31~6/1 アート&クラフトフェア チバ「にわのわ」へ出展してきました。

思い返せば仕事に行き詰まりを感じて悩んでいたころ、妻に誘われて行ったクラフトフェアとの出会いがきっかけとなり、今があります。
僕は革の仕事をする以前から、身に付けるもの、使うものは、直接作っている本人から買いたいという願望を持っていました。若い僕が民芸品に興味を持ったり、クラフトフェアへ通いつめることはありませんでしたが、朝市や手作り市、何かのイベントなどで機会を見つけては、作り手の人と話して買う、もしくは作ってもらう、ということをしていたように思います。

しかしながら、そういう考えとは裏腹に利益最優先であるメーカーで働き、またデザイナーズブランド最盛期世代から外れているとはいえささやかなブランド志向も捨てきれず、物もお金も浪費する生活に馴れきっていたことも事実でした。
 
 
「豊か」という価値観とは?
幾度も考えていることですが、そのひとつの答えが消費のあり方の中にあると僕は思っています。
職人や作家、所謂その道のプロが自身で作った品物、作品を直接お客様に販売するクラフトフェアは、陶器、木工、金属、ガラス、染織、布、革、竹、などなど、出展のジャンルが素材や手仕事の種類ごとに分けられています。
こういう手仕事の多くは古くから続いているものだから、クラフトフェアで販売される品物は生活にかかわるものが多く、生活必需品といわれるものがある程度網羅されています。
生活必需品は読んで字のごとく「生活に必ず要る品物」だから、身近な場所でも販売されているし、今の時代は家にいても簡単に手に入ります。
そうなると作り手から直接買うという行為は、逆に手間がかかる事かもしれませんが、その手間の中に豊かさのヒントがあるのだと信じています。
手間のかかること(豊かさ)の最たるものは自給自足かもしれません。
自給自足は人の手と、その向こうにある自然の強い力を、より多く感じる機会を与えてくれるからです。
そしてそれと同じくらい、生活の中で人(他者)の力を実感することも、意味があることだと思います。

僕の私生活は物で囲まれています。他の人から見たらただの物だけど、僕の目や脳では感じています。
岡さん達がリフォームしてくれた家に住み、作業場で仕事をし、永田さん達の椅子に座り、
柏原さんのフライパンや渡辺さんの土鍋、うだくん達の木へらで調理した料理を、石黒さん達の陶器や井筒さん達の木の器に盛り、次郎さん達の箸で食べます。家の中はそんな手仕事であふれていますが、こだわりを尽くして揃えているのでなく、知り合った仲間やクラフトフェアへ参加して作り手のみなさんと言葉を交わすうちに自然とそうなってきました。
揃いの家具はなく、食器もバラバラ。
道具としての使い勝手云々よりも先に、それらを目にすると作った人の顔が浮かびます。
手仕事のうたい文句に、ほんの少し日々の生活が豊かになれば・・・みたいなのがありますが、
こういうふうに、ものを通して人を感じること、それが生活に溶け込んでいる今は豊かな生活なのかもしれないと、このごろ思います。
感情の起伏が人一倍激しいと自他共に認める僕が言うのもなんですが、
心穏やかに過ごす秘訣は感謝にあると思います。
物に感謝できる日常があれば、必然的に人にも感謝が生まれてくるものです。

今回なぜこんなことを書いたのかというと、「にわのわ」というイベントが素晴らしくて、触発されてしまったからです。
度々理想のクラフトフェアを頭のなかで妄想するのですが、その妄想を超えていました。
スタッフのかたの取り組みかたや、事務手続き、ロケーションなど、挙げればキリがないほどですが、クラフトイベントという形の集大成的な完成度ではないかと思いました。
また、個人的にも良い出会いやコミュニケーションなどたくさん収穫があり、とても充実した二日間でした。
千葉にゆかりのある作家というのが参加条件ということもあり、参加し続けることは難しいと思いますが、
また参加することができれば嬉しいと思います。
 
 
2日間とも夏日で大変暑い中、遠くまで足をお運びいただき、
またヌイトメルのブースへお立ち寄りくださった皆様、
スタッフの皆様、ありがとうございました。

2日間ともとても忙しく、写真は自分のブースしか撮れませんでした。

最後に、Iさん、暑い中お手伝いありがとうございました。

(クニヨシ)

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