学童保育所

2013-3-31

年度末、毎日あわただしく、飛ぶように時間が過ぎていきます。
この前書いた自分の文章を読み返して、
たいしたこと何もできていないくせに、ごちゃごちゃ書いてるなぁと恥ずかしくなっていました。
考える、から、行動する、への変化は、考えていてはできないのかもしれません。
 
 
さて、先週保育園を卒園した長男は、卒園後も残りの数日は保育園へ。
4月、入学式の前から学童保育所へ通うことになり、ドキドキしています。
私も小学生のころに通っていた思い出の場所です。
当時学童保育所創立の手伝いをしていた母が、学校で友達を作るのが苦手だった私を見かねて入所させたと、最近聞きました。

ゴムとび、まりつき、ケン玉、キャンプ、宿題とおやつの時間、
学童で毎日遊んだ思い出は、今でも鮮明に覚えています。
当時、保護者が共同で運営していたという「コスモスひろば」は、
今では100人近くが通う、市運営の児童クラブとなっていました。

入所の申込みで久しぶりに訪れた学童保育所。
プレハブだった建物は建て替えられて、
職員室に和室、大きな業務用冷蔵庫とキッチン、新しいエアコンもありましたが、
古くて小さな施設に対して、市に改善をお願いしていると、入所説明会の時に申し訳なさそうな口調でおっしゃる職員の先生。
子供は施設の善し悪し、気にしているのかな。
女の子はきれい好きだから気になるかもしれませんね。

それよりも私は、
建物前の一面のコスモス畑や、大好きだった赤土の土手がなくなり、
みんなで走り回った田んぼが住宅地に変わり、
裏にあった水路がフェンスで囲まれフタをされ、
何よりグラウンド横にあった大きな森が、
今はすっかり小さくなってしまったことが、よっぽど残念だったのです。

昔は良かったと、つい言ってしまうのはおばさんになった証拠なのかもしれませんね。
きれいに整備された安全な遊び場が増え、
通学路が短縮され、毎日長い階段を上らなくてよくなった今はとっても便利ですが、
寄り道しながら川にも入れた昔の通学路と、
誰にも怒られることなく田んぼやあぜ道で遊べたことは、今思うと素敵だったなぁと思い出しています。
おまけに運動が苦手でインドアな私にもついた基礎体力は、
このけわしい通学路のおかげだったのだと思うのです。

傾斜地に作られた棚田、平野の少ない日本の田園ではよく見られる風景ですが、
景観の美しさもさることながら、
この棚田が果たす役割って、実はすごいんですね。
保水機能、地下水のろ過、洪水や地滑りの防止、生態系保全、
そのうえ、棚田のお米は美味しいのです。

農村を破壊し続けることが何を意味するのか、よく考えないとなぁ、と思う今日後の頃です。
まちづくりが大事といいますが、住宅地って基本は市政の介入がないでしょうし、
土地を売る人、買う業者、作る請負業者、家を買う人、全てがバラバラで、
売ったら終わり、あとは何が起きても、、、自己責任。
ものごとの基準が金銭というのは資本主義の仕方ないところなのか。

もっとも、小学校の周りは当時もすでに農村ではなく、
今自分が住んでいるところは山を切り開いてできた、高度成長期の新興住宅地なのですけどね。
その、昔の新興住宅地はどんどん高齢化しているそうですし、
30~40年後の状況って、どうなるのでしょう・・・
・・・話がまたまた脱線していますが。
 
 
そんなこんなで昔を思い出して、懐かしい遊びを。
大人になってからやってみるケン玉、
子供のころよりも上手になっているのが、何気に嬉しかったりして。

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