福島訪問と大飯原発のこと

2012-7-3

先月初め、夫が福島県を再訪してきました。

今年の秋にまたワークショップ隊として訪問することになっていて、その場所探しと、
昨年お世話になった「アクセスホームさくら」さんと「こどものいえ そらまめ」へのご挨拶なども兼ねて伺いました。

さくらさんは、昨年よりも活気づいていて、
支援の手が少しずつ届いているというような、嬉しい話も伺えました。

そらまめは渡利地区から少し離れた場所へ移転され、
園長さんは、この春NGOグリーンピースに招待されヨーロッパ数カ国の公式の場で講演をされた、ということです。
大飯原発再稼働と福島第一原発4号機燃料プールの状態に関して、ドイツ・イタリアが懸念を表明しています。
「原発」「放射能」という言葉がすでにタブーとなっている福島では、
さらに加速して気にしない人が増えているそうです。
声を挙げても状況があまり変わらないし、諦めて福島県外へ移動している方も多いから、
相対的に、気になっていても口に出せない状況が強くなっているのでしょう。

 

でも、これが現実でした。
移転前のそらまめがあった場所、雨水で放射性物質が集まるとされる場所での測定値。

飯舘村で見かけた方々は、車中でもマスクを着用されていたそうです。車中での測定値。

<補足>
年間被ばく許容量とは、自然放射線以外に追加できるとされる許容放射線量(年間1msv=1,000μsvまでが望ましい)のことです。

1日の被曝線量は、政府の計算(外で8時間活動し、減衰率0.4の建物内で16時間過ごす=14.4時間)を前提とされていて、
測定器に表示される値(μsv/h=1時間ごとの平均放射線量)にこの14.4(時間)を掛けると1日の、さらに365(日)を掛けると年間被ばく量が計算されます。

(被ばく許容線量の値に関する見解は、多くの考え方があるためにここでは割愛します。)

ちなみに被ばく量・放射線に関しては、こちらのサイトが参考になります。

「専門家が答える暮らしの放射線Q&A」 → http://radi-info.com/

放射線被ばく量累積値がネット上で計算できます。 → 簡易計算機

今、大飯原発再稼働や瓦礫の広域処理を巡り日本が揺れています。
昨日「国民の生活を守るため」として大飯原発3号機が再稼働されてしまいました。

そんななか、先月は「原発」東京都民投票についての審議は否決され、
大阪市での否決に続き、東京都32万筆の声は悲しくも反映されませんでした。
この冬大阪での署名活動を少し見ていたのですが、印鑑や拇印を押すたいへんに厳格な署名で、それを2カ月間で32万筆も集めた都民のかたの努力は相当なものだったろうと思います。
運営はボランティアですから、その時間と労力、多くの人々の願いを、税金から給料をもらっている議員がほぼ無視しているというのは腹立たしいことです。
次は静岡県新潟県で住民投票の請求に向けた署名が始まっています。
つい先週の土曜日に静岡県知事の講演も聞いてきましたが、しっかりと原発について反対の旨を発言されていました。
さて、議会はどう動くのでしょうか。

大阪の市民投票運動では、請求の否決後、各市会議員に対する評価シートを作成、公開されています。
悲しいことに、今の日本で出来る国民の意思表示は選挙だけなのです。
ぜひ次の選挙の参考にしていただきたいと思います。

一方で、関電と東電の労働組合は、組織の票の力で再稼働に反対する議員を脅し、
東電は事故前の年収を維持するために家庭用電気料金を値上げ、年収20%カット分と冬のボーナスを確保したといいます。

北九州に瓦礫が運ばれるというし、
大阪市も此花区咲島で瓦礫処理を決定したというし、
滋賀県にも前のめりで瓦礫処理を検討している市があるというし、
大飯原発3・4号機には福島第一原発3号機でも使われていた「MOX燃料=プルトニウム」を使うというし、
そう、大飯再稼働は「電力不足」による「国民の生活を守る」ためでなく、
「電力会社倒産による経済混乱」から「国民の生活を守る」ため、
さらには、安全保障上「国民を守るため」という名目の「原子力技術」と「プルトニウム」を貯めておくためなのでしょうか。

そもそも、発電とエネルギーを取り巻く仕組みを変えれば電力は足りているといいます。
つまりは経済と安全保障の問題なのだということから、
あえて論点をずらして本質を見えにくくしているように感じるのです。

南相馬市の海岸付近の空間線量は予想に反して、関西の線量とほぼ同等にまで下がっていましたが、
今年4月に帰村宣言をした南相馬市小高区は、郵便局など町の機能が動いておらずほとんど人影がない。

 

津波被害の復興を妨げているのは、放射能と原発です。
市民の多くは本来注ぐべき復興へのエネルギーを、放射能・原発関連に注がざるを得ない。
日本の原子力政策はどこまで市民のつながりを分断し、消耗させるのでしょう。
強引に押し切られたその後に残る徒労感、諦め、しらけムード、
そうやって今まで多くの運動が繰り返し足蹴にされてきたのでしょうね。
短期的に盛り上がるような運動ばかりでは、同じことの繰り返しになるのかもしれません。
署名も、デモも、結局は無視されてしまうのですから。

今までなんとなく生きてきて、なんとなく明るい未来があると、なんとなく信じてこれたけれど、
原発事故を契機に、それがただの幻想だったと気付きました。
前向きに議論し、明るい未来を作るために、一人ひとりが考えを深め成熟しなければ前へ進めない。
かつて徳島県吉野川可動堰が建設計画中止へ至った10年間の道のりを目指して。
「国民投票」さえ存在しないこの国には、本当の民主主義がまだ存在しないのだから。

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