2年目に突入

2023-4-10

春休みが終わり、帰省していた息子たちがそれぞれの場所に帰りました。

2年目に突入する寮生活と島生活

大きさがほとんど同じになったふたりを

(写真は年長と3歳のころ)

日曜日、近くの公園しだれ桜の木の下で記念撮影

いつもは少し遅めのしだれ桜も4月あたまに満開!

親子兄弟が離れて暮らすようになり

ほどよい距離感を保てているから

久しぶりに会うと家族がたいへん仲良く過ごせる。

少しずつたくましくなる息子たち

ひとりで高速バスを予約して行き来する長男

ひとりでフェリーと飛行機と新幹線を乗り継いで往復できるようになった次男

ひとりで掃除洗濯スケジュール管理が(ある程度)できるようになった長男

ひとりでテスト勉強と提出物を(多分)こなせている次男

目標を立てコツコツ頑張る長男

要点をつかむのが早く応用できる次男

生真面目すぎて神経が細く自意識過剰ぎみな長男

お調子者で面倒くさがりで小心者の次男

それぞれに己の弱点と強みを知り

対応するすべを少しずつ身に着けようとしているのがわかる。

親は干渉しないよう気を付けないとと思いつつ

どうしてもトラブルが起こる前に手を口を出してしまう、悪い癖

中途半端に口をはさみ、それが逆にトラブルを生むことも・・・反省。

 

次男はそろそろ進路のことを考えている様子で

なりたいもの、やりたいことがないと、少し困っているようだ。

まだ中学生、やりたいことがないのは当たり前

今は嫌いでないことを選んだらいいって、上の子には伝えていた。

で、国語とコミュニケーションが苦手な長男は

数学と理科がそれほど嫌いではなかったことと

集中して何かをコツコツ続けたり、調べたり、手を動かすようなことなら苦じゃないと

(そういえば小さいころからブロックや図鑑や車でずっと一人遊びができた)

理系の高専を目指すことになった。

数学が苦でなくなったのは中一のときの担任の先生のおかげで

数学者を目指していたらしいその先生がいなかったら、今とは違う進路だったかもしれない。

そして高専に入学した長男は、今のところは後悔なく過ごせているようだ。

 

次男は五島の中学校がとても過ごしやすいらしく、もう一年行くことにしたそうだ。

前の一年はあっという間だったので、次の一年で島をより堪能するつもりなのか

行事が多く忙しいが、学校通信ではいつも遊んでいるように見える。

生徒数が少ない割に行事や課外授業が多いため

〇〇実行委員、〇〇委員長、〇〇代表など、全員が何かの役割を担当するし

部活も掛け持ち、参加校が少ないからほとんど自動的に県大会まで出場

駅伝は他校との連合チームで走ったり、職業体験はエビの養殖場や農協

自治会行事も学校ぐるみで、焼き芋の会では魚の干物まで焼いて食べるという渋い行事や

アットホームな島の生活はこちらでは体験できないようなことが多く

主体的に参加せざるを得ないことが、貴重な学びの機会になっていると感じる。

 

ちなみに、島の多い長崎県は離島留学の制度が充実していて

最近ニュースになっている島のことで

離島の里親さんや協議会にその影響がでないか心配している。

山村留学について、その制度を利用しての悪用云々は時折耳にしたことがあるが

それは他の社会問題から付随するものでもあって、根本的には複雑な事情が絡んでいると考える。

家族以外の人と同居すること、子どもを預かることは簡単なことじゃない。

息子は島の皆さんからたくさん可愛がられているし

今利用させてもらっている留学制度は子どもに対するケアが充実していてとてもありがたいものだ。

これからも留学制度がより良く運営されるよう、見守りたいと思う。

 

いま、やりたいことを見つけたとして、それが5年先10年先にどうなるのか見通せない時代。

2020年以前以後で世界が大きく変わってしまったように

戦争やクーデターや世界の情勢もテクノロジーも

すごい早さで世の中が変化していると感じるし

ニュースやコラムでAIの進化がすごいということをさんざん見聞きしていると

自分が今の頭のまま学生に戻ったとしたら何を選ぶか?と考えても、正直わからないし

いまの子どもたちは、大変な時代を生きていると思う。

 

ほとんどの仕事に人が不要になるというなら

人は人のために(誰のために)仕事をしているのか

仕事は何のためにあるのか、といった根本的なことを考えてしまう。

いずれどんな仕事も人が要らなくなるなら

何を選んだとしも、若いうちは自分が興味のあること(嫌じゃないこと 好きかもしれないこと)を

いつ学びが中断されるのかもわからない時代だからこそ

学べるうちに学んだほうがいいという、今はその結論に至る。

数年前、「都市を耕す」という映画をみて

ある程度食べることができるくらいの菜園を、チャンスがあればやるべきと思った。

滋賀は畑をやっている人が多く、この界隈の住宅地にもあちこち家庭菜園があって

私たちもご縁とチャンスが訪れたので勢いで畑仕事を始め、今年で2年目に突入。

月に2回くらいしか行かないけど、ほったらかしでも意外と育つし、思いのほか収穫できる。

やってみて気づいたのは

売ってる野菜って安すぎる! ってことと

自分で育てた野菜っておいしい!意外と簡単に育つ!ってこと。

 

いざやってみると、手間やコストを比較してトータル買うほうが安いって事実はもはやどうでも良くて

農作業は無心になれる気持ちよさや充実感があって

無農薬の野菜は気持ちよく食べられるから、やっぱり自分で耕すのって心地よい。

買った野菜をいただくときも、感謝やリスペクトの気持ちが強くなる。

美味しいも楽しいも、人の人生はその人のものだから、堂々と主観で生きれば良く

人生はタイパ・コスパでは測れない

他人からは無駄に見える時間にも、自分で何かしらの意味を探せばいいということ。

そのためにも色々なことに興味を持ち、知ろうとすること、やってみること。

自分の体と頭で、ほんものと思える体験と経験をし

より自分が豊かでいられると感じるほうで生きることを選ぼうと

子どもたちに伝えたい。

 

(アツコ)

commentする



CAPTCHA


ページの先頭に戻る