2021年 夏休み

2021-8-13

今年は昨年にも増して鬱々とした夏。

中3長男のオープンキャンパスも、小6次男のバスケの試合も練習も全て中止。

そのうえ台風や雨続きの夏休みは、去年よりも動きづらい毎日が続いています。

 

夏休み前半の、長男の部活の引退試合は

1点差で敗れ県3位という悔しい結果に終わりました。

所属しているバスケ部が歴代強くて、入学した時からチームメイトに助けられ

控え選手とはいえ良い練習環境に恵まれて

運動能力や体格や特性やセンスの違い、そういうことを達観できるほど痛感させられながらも

日に日にバスケが大好きになっていくわが子の部活生活でした。

近畿大会へ行きたかったというチームのみんなの気持ちを想うと(母も)辛かったですが、

良い仲間に出会えたことに感謝です。

次男は何ごとにも打ち込むことが苦手な性格のうえ

兄の影響となりゆきで始めたバスケは、昨年からのコロナによる不完全燃焼が続き

チームメイトと楽しくやってはいるものの、みんな同じような鬱々とした練習環境で

何かと不運が重なり、本人的にはバスケがもっと好きになっていくタイミングを完全に逃し

やるなら最後までちゃんとやれという親のプレッシャーと、嫌いではないスポーツなのでなんとなく続けている状態。

同じスポーツをやっていても、色々なタイミングや運や

もともと持っている性格で、こんなにも違うんだなと思います。

子ども時代の好き嫌いってわりと単純で、しかも子ども時代の時間は短く限られているので

その時期にどういう人と関わったのか、その月齢の時にどういう環境に身を置いたのか

どういう社会状況だったのか、どんな経験をしたのかで大きくモチベーションが変わってしまう。

 

特にこの1年は新型コロナ騒動で受けた影響が公私ともにとても大きく

それも相まって、わたし自身が人との関わり方や価値観の違いを想うこと

考えることや学ぶことが多かったと思います。

 

人付き合いで最終的に重要になるのは、それぞれがもつ「価値観」であり

大切に思うこと間違っていると思うこと、判断の基準が価値観によって違っているので

その価値観の違いを埋めることがとても難しい。

世の中で多様性を認めることが大切だといわれながら、その多様性とは価値観の違いであって

そもそも多様な価値観を知ろうとする姿勢がない場合は

違いを受け入れることってすごく難しいのだと痛感しています。

 

自分自身はできる限り多様性を認めたいと思っているけど

それを受け入れることができない、難しいケースがあること

学ぶ姿勢を知らないひと、学ぶことが苦手なひとがいることもまた事実なんだと思います。

 

多くの衝突は無知であるが故。

狭く浅い認識で正当性を振りかざし、自分自身を顧みることができずに

起こしてしまった事実に対してそんなつもりはなかったと、無知を言い訳にして

そういう愚かな振る舞いさえもまた顧みることができない

近くに遠くに、そういう案件を見るにつけがっかりすることがあって

ひとは自分のわかることしか聞かないし理解しない、という根本的な原因に行きついて

自分も含めて人間という愚かな生きものであることの罪悪感と自己嫌悪

そうしていつも思考が堂々巡りになってしまうのです。

 

 

マスクをするのはなんのためか

守りたいのは何なのか

守りたいのはだれの命か

それは何でどうやってできているのか

それを作っているのは誰なのか

 

世の中が悪意に満ちているとは思いたくはないけれど

良かれという行動で他人を苦しめる「善魔」がいることもまた事実。

ひとつひとつの言動が利己的か利他的か

ひとが良いと信じて他人に対して行う行動、それは巡り巡ってその人自身のためなのだが

それを自覚しているかいないかで、行動の意味が大きく違う。

 

無知であることを認めること、自分が間違っているかもしれないという多面的な視点

俯瞰して己の小ささを知ることの重要性を痛感。

狭い価値観でつくられた規範に縛られたくないし

ものごとの本質を見抜ける人でありたいと思う。

自分で情報を取りに行く、エビデンスを見極める

その価値観は何をルーツとするのか

何が大切で何が目的なのか、根本的なところを間違えないように自分の行動も確認していきたい。

同じ人間、話せばわかる、なんていう言葉は幻想なんだという悲しい事実を受け止めて

損得勘定で生きる浅ましさとは距離をおき

学ぶことを楽しめるひと、価値観の広がりを知っているひとと

建設的な討論ができる時間と自分が快い自分でいられる時間

大切にしたい人と共有する時間を増やし、これからを生きていきたいと思う。

人生は経験の連続でできていて、経験からでないと学べないことばかりです。

 

 

 

 

時間は限られていて、人生は短い

人生は思い出づくりというのが我が家のモットーで

思い出は毎日増え続けているし

そういう人生を生きられている自分はもうじゅうぶんに生きたなぁと、時々考えるけど

わが子の成長はもう少し見ていたいし、やり残していることもまだあるかな。

このごろは親の過干渉が子の成長に毒だと痛感する毎日。

私もそろそろ子離れの時期、

寂しいけれど、子どもの成長のためには手を放していかなきゃなぁ。

 

(アツコ)

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