日々のこと。2017年の終わりに考えていること。

2017-12-30

今年も残り2日になりました。
先週の土曜から、工房はお休みをいただいています。
長い間おろそかにしていたブログですが、少し日常のことを書こうと思います。

毎年、夫がおじさん集団で東北旅行をします。今年も秋に行っていました。
今年は山形のりんご農園へ寄ったらしく、枝いっぱいたわわに実ったりんごを見て驚いていました。
何も手を入れないとこんなに実るんだ、というのを始めて知って。
そのまま収穫せず放っておくというので、袋いっぱいに枝からもいできたそうで。
中にはあまり甘くないのもありますが、それでも捨てるのはもったいない・・・
そういうわけで10月からりんごが大量にあったので、友人にお裾分けしたり、せっせとりんごジャムにしたり。
おかげさまで、今年はたくさんりんごにありつけています。

 

12月に入ると急に寒くなって、あっという間に冬になりました。
長男は冬休み中もバスケの練習。
今は何よりもバスケに夢中なので、休まず練習に参加しています。
愛読書は雑誌、ダンクシュート。家の中じゅう持ち歩き、暇があれば読んでいます。

毎週末に練習や試合の送迎があるので、休みの日にはほとんど遊びに行けずに、
送迎時間前後の中途半端な時間は、結局仕事をして。
ちなみに、次男の愛読書はコロコロコミック。
物欲のない次男の誕生日プレゼントはコロコロ1年分です。
マンガ読んでいる分にはまだいいけれど、気が付くとひたすらテレビを観ながらダラダラゴロゴロ。
これじゃあ、やっぱりイカンよ、と思って、
今月はできるだけ送迎の合間に次男に付き合い、自転車の練習とボール遊びを。
家の周りは坂道だらけで、自転車の練習はわざわざ広い公園へいかなければならず、
つい後回しになっていたために、8歳でまだ自転車に乗れなかった次男ですが、
毎週少しずつ練習したら少しペダルをこいで走れるようになりました。
そうしたら、いつも3歳年上のお兄ちゃんと自分を比べて自信をなくしていたけれど、少しずつチャレンジする気持ちがわいてきたようです。
超ビビりでドッジボールが苦手でしたが、このごろはボールをキャッチできるようになってきたらしい。

ここ数年、子どもに手がかからなくなってきたのをいいことに、かなりほったらかしているので、
こうやって子どもたちと過ごす時間も大切にしたいなぁと、改めて思いました。
「思い出づくり」が我が家の子育てのモットーです。
うちの子たち、行動範囲が狭い感じがして、
なんか知ったふうなこと言って、行動に移さなかったりするのがどうもなぁ。
もっと積極的に飛び込んでいく気持ちや、好奇心が育ってほしいのですが。

  

まぁ、どこから見ても普通に育っていると思うんですが、
学校からもらう通知表の評価方法がなんだかふんわりとしているので、
結局のところ、わが子たちの習熟度がどうなのかよくわからないのです。
自分から見て、やっぱり読解力が足りてない気がすごくするから、なんとかできないかと考えています。
学ぶことは楽しいことだと気づいてほしいと思って、あれこれ言うのだけど、
こちらの言うことが耳を素通りしているような。

宿題は毎回やっつけ感がすごくて、なんだか時間をかけているわりに意味がないようにも思えてしまって。
特に「自主学習」の宿題が曲者で、子どもに任せて放っておくと手を抜くことしか考えていない。
長期のお休みは子どもの宿題=親の宿題が多く、こっちが気合を入れないと終わらない。
今年は長男の夏休みに、自由課題の自由研究に取り組むことにしたら、
子どもだけでできない学習には親の協力がかなり必要なことを痛感しました。

   

平日は家に帰ったら宿題の時間に追われ、テレビを観ていたらもう寝る時間。
テレビを観るなというのも、子どもにとっては少々酷な話で。(観すぎなければOK、と思っている。)
教育を学校だけに押し付けてもしょうがないし、足りないところはきっと塾や家庭が補うのだろうけれど、
そもそも限りある時間のなかで家庭学習の時間が思うようにとれない!
結局のところ、小学校は中学校の準備期間で、中学校は高校受験の準備期間で、高校は大学受験の準備期間・・・らしい。
遊ぶのが子どもの仕事、というのは幻想なのか。
いっそ土日は宿題をなくしてほしいのだけど、学校からすると、そこの足並みは揃えなければいけないらしい。
罰とか連帯責任とか、ときどき憤りを感じることも。きちんとした集団生活、そんなに大事なのかと。
なんか全部「やらされる義務」で成り立つ日常って、つまらない。
行事も参観でもなんとなくやらされ感があって、モヤっとするし。
正論でなくても行儀よくなくても、ふつうに思ったことを口にできることが大事で、
「あるべき姿」にふりまわされない度量を持ちたいと思う。
なんで、と思うことや、ふとした疑問を、そのつど一緒に考えて、
なんで?の奥にもっと深いなんで?があって、その疑問は他ともつながっていて、
そういう探求が「知る」ということで、
そうやって知っていく楽しさや「自分の頭で考える」ということを大事にしていたいと思う。
ものごとを多角的にとらえることを大切にしたいので、
子どもたちにはできごとの裏も表も、人間の汚さや尊さも、どちらかというと包み隠さず、
そのときどきで伝えているつもりなんですが、
ちゃんと伝えられているのか、自分のエゴなのか?押しつけなのか?と、ふと不安になることがあります。
 
 
先日、用事で久しぶりに大阪に行ってきて、
久しぶりに友人にも会って、少し上の子どもさんがいる先輩母親さんからも色々と話を聞いて、刺激を受けました。
この6年、日常的に友人と話す機会がほとんどなくなっていて、
普段は夫ともくもくと作業を続ける毎日ですから、久しぶりに家族以外の人と長く話すのは楽しいものです。
夫婦だけだったら曜日の感覚すらもなくなってしまいそうな、まぁ、日々代わり映えのない時間を過ごしています。
幸いわたしたちは、希望したとおり子どもができて、今はその成長を見て時間の経過を感じることができているので、
それはとても貴重でありがたいことだと思います。
その時間はまさしく授かったものだと思うので、大切にしていたい。
長男が中学生になったらきっと家族でどこかに出かけることは減ってしまうのだから、
小学生時代の最後の年、悔いのないように過ごせたらいいなぁと。時間の許す範囲で。
近ごろの子どもは忙しいな、と思いますが、
中学校に行くともっと忙しいらしい、とか、楽しみに思えないことを聞くにつけ、
子どもが近くにいて一緒に過ごせる時間は短いのだから、今をもっと大事にしなきゃと、この頃ちょっと焦っています。
なんか大人も子どもも、いつも時間に縛られている気がして。

・・・というようなことをモヤモヤと考えている、師走です。

今年はいい本にも出合えたし、いい映画も観れました。
「サピエンス全史」
「コスタリカの奇跡」
どちらも、とても良くて。くよくよしてるのがあほらしくなります。
現実と理想の狭間でふらふら揺れている自分ですが、
また来年もがんばりたいと思います!
 
 
今年も多くのかたに支えられ、一年を終えることができました。
どうも有難うございました。
また来年も、どうぞよろしくお願い申し上げます。

(アツコ)

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