新しい日常

2020-5-2

突然訪れた春休みから、毎日の学校とクラブとが突然なくなってしまう非日常が、

3週間も過ぎた頃は日常になっている。

緊急事態宣言にともない、休校が5月末まで延長されたので、

もともと家にこもるのが大好きなわが子たちは、このたっぷり時間のある機会を利用して、

マンガを毎日何時間も読みふけり、

You Tubeで好きな音楽を探求したり、大好きなNBA解説の動画をチェックしたり、

それぞれ週2、3回のスイッチ使用許可日にゲームに熱中したり、

長男は、はじめのうち生活のリズムをつくるのに苦労していたけれど、

毎日近所でランニングやバスケの自主練をして、キーボード入力の練習も兼ねてテキストで日記をつけたり、

4月には学校の課題がたくさん出たので時間を決めて取り組みだし、

今は工夫をしながら、それなりに充実した時間を過ごせているようだ。

小5になった次男はやるべきことから現実逃避の毎日で、

時間があればあるほど逆にやる気が削がれてしまうので際限なくだらけてしまい、

そんな自分に苦しんでいる様子だけれど、自分で自分の行動について責任をとる練習になればいいと思う。

  

たくさんマンガを読む毎日は、ある意味今しかできない有意義な過ごし方かもしれない。

本やマンガ、映画や新聞には、学校では学べないことがたくさん詰まっていると改めて感じる。

次男はマンガが大好きなので、たくさんの知識と語彙はほぼマンガから蓄えていて、いつの間にか知っていることに驚くことがある。

  

今のこの時間は、子どもが自分でスケジュールを管理する機会、

お昼ご飯を自分で用意したり家事をする機会、本をたくさん読む機会、

こういうときにしかできない家庭学習の機会だと前向きに捉えることにした。

普段は忙しく読書の時間をつくれないので、時間が余りある今だからこそたくさん読むことを勧められる。

あふれる情報には間違った知識や誇張された表現もあるので、価値観が定まっていない子ども時代はできるだけ良質な読み物にたくさん触れてほしい。

休み中に子どもに勧めた、小・中学生でも読みやすい一冊。

ラジオで「哲学の入門書」と紹介されていました。

http://toretate.nbkbooks.com/9784540171093/

  

・・・

さて、急速に進んだ新型コロナウイルスの感染拡大による非常事態が続いていて、

イベントが全て中止になり、外出が制限され、

これまでの生活が戻ることはもうないのかもしれないという不安がつきまとっている。

3月半ばあたりには海外の情報を見るにつけいよいよマズい状況だという感覚があり、

しばらくのあいだ情報収集に良いツールはないかとあちこちを彷徨っていたところ、あるニュースサイトに落ち着き、今のところはそこを利用しながら情報を得ている。

  

色々なニュースを漁るうちにわかってきたことがいくつかある。

消費・経済が変わること。暮らしかたが変わること。学びが変わること。

観光業にはじまり、飲食業界、運輸、サービス・販売業、次に製造業や建設、そして農業や水産業・・・

というように、一部を除き人や物を介している業種で影響が連鎖していくのが予想され、

経済活動が止まっている状態が長引けば、これを機に続けられなくなるところが続出しそうだということがいわれている。

常に循環していることが必須の低い利益率の業種は、回転が止まってしまうと続けることが難しい。

長期間の利益が消えているのだから、猶予や融資(借金)は根本的な救済にならないし、

数年スパンの衰退がこの数ヶ月に迫るなんていうことは、

展開が急すぎて想像するのが恐ろしい事態となり、こころのなかで色々な葛藤がうずまいている。

あまりにも突然に到来してしまったものづくりの危機によって、多くの技術が失われてしまうのかもしれない。

多くの場合、文化、芸術やぜいたく品は非常事態には不要とされてしまい、

モノの消費についての考えかたが変わり、モノの価値が変化し、必要とされる技術が変わっていき、

時代の変化とともに一度途絶えた技術は価値観の変化によってその後も必要とされず、ひっそりと消えてしまう。

途絶えてしまうと復活させるのは難しいという。消えてしまうと連鎖的にいずれ途絶える文化もあるだろう。

それが時代の必然だったとしても、今はまだ急すぎて、

途絶えて困るような超絶技巧を持ち合わせているわけではないが

一応は物品の製造と販売を生業としている者として自分たちの価値観が大きく揺らいでしまい、

この仕事を選んで、続けてきたことは正しかったのかと考えこんでしまう。

いま、何をするべきか、多くのひとが悩んでいることかもしれない。

  

情報収集の過程で、私としてはとても信用できると感じた文章を4月のはじめに読み、これを心に置いて生活したいと思ったので、ここで紹介します。

奇しくも、先に紹介したオススメ本と同じ著者の文章でした。

 

藤原辰史:パンデミックを生きる指針-歴史研究家のアプローチ

(岩波新書HP「B面の岩波新書」より。PDFでダウンロードもできます。)

https://www.iwanamishinsho80.com/post/pandemic

 

書かれている内容通り、何事も楽観的に考えるのは逆に危険だと感じていたので、

これから起きるであろう様々な出来事を客観的に冷静に分析して、正しく判断する力を蓄えることが必要だと強く思った。

毎日センセーショナルなニュースにさらされていると、冷静な判断が鈍ってくるかもしれない。

そういうとき、私はできるだけ色々な角度の情報を読み比べ、「事実」が述べられているかどうかを基準に読み進め、「論理」「推測」が事実に基づくものか、その言葉ひとつひとつに自己を顧みる謙虚さがあるかどうか、注意深く読みとろうと試みる。負の感情を刺激する表現や偏見が見え隠れする表現、人間の精神性や感情へ働きかける言葉で装飾される表現は、どちらかというと信用がおけない気がしている。

たくさんの情報の中からできるだけ冷静に判断しながら、たとえその言葉や発言に共鳴したとしても、盲信することのないように気を付けながら。心の片隅に、もしかすると間違っているかもしれないという疑いを持ちつつ準備しておきたい。

 

大人にとってのリスク、子どもにとってのリスク、社会にとってのリスク、

場所、世代、立場、個人ごとにリスクがそれぞれ違い、どの方法が正義かなんていうことはとても難しい問題で、

それぞれに正しいとされる判断の先が、その他への不義につながっているのかもしれない。

同調圧力や監視という振る舞いで、ひと昔前に誰もがおかしてしまった過ちは繰り返さないように。

こうやって考えすぎて頭が痛くなってくる毎日のなか、

わたしたち夫婦はというと、5、6月のクラフトフェアは中止になってしまったけど、

幸いご注文はいただけていているので製作は続けられていて、

今は必要とされているものを作っていくしかないと考えています。

とはいえ、材料の供給が止まってしまうと作ることができなくなるので、

細々とでも続けていけるよう頑張るしかない状況です。

それがいつまで続けられるのか、今はまだわかりません。

まずは、できることから。

冷静に、判断していきたいと思います。

 

(アツコ)

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