2020年 新年に考えること

2020-1-5

2020年になりました。

今年も暖冬のお正月でした。

本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。

 

さて、親せきの帰省やらご挨拶やら後片付けやらで慌ただしかったお正月が過ぎたところで、

ひと息ついて昨年を振り返り、思ったことを文章にまとめてみました。

昨年は色々と変化の一年でした。

まずは、長男が中学生になりました。

中学の入学式からもう受験を見据えたかのような話がはじまり

こうも急に環境が変わるのかと戸惑っている暇もないまま、

小学校の内容はすべて理解している前提で進む授業と、

定期テストの課題と提出物、部活との両立にやっと慣れてきたのは2学期が終わろうとしているころ。

 

仕事では消費税が増税されたのでその対応に追われ

世の中の急激なキャッシュレス推進に慄きながら

スピードについていかないといけないような雰囲気に焦ってしまうのだけど、

本当はもっとゆっくり生きたいのになぁ、と思っているのです。

 

私のような疑り深い人間は、何かの陰謀じゃないかと勘ぐってしまうくらいによくできたオンラインゲームに

子どもたちがまるで洗脳されていくかのような日々を目の当たりにしていると

よほど気を付けていないとその渦に飲み込まれてしまう気がしている。

小学校でそのゲームは子どもたちのコミュニケーションの中心で、

それで仲良くなったり、疎外感を覚えたりの友達づきあいを学んでいくツールとなっていて、

それがないとそもそも会話が成り立たないので、これはもう生活の一部になってしまっているのだなぁと思う。

シミュレーションで満足できているなら、それはそれで幸せなのかもしれないけれど、

リアルを体験しづらい現実と、リアルを知らなくても事足りるような脳内の刺激が簡単に手に入る世の中は

映画マトリックスのような二重世界に変わるさまを見ているようで、なんだか恐ろしさも感じる。

作られた想像の世界がそのままリアルであるかのように錯覚していくことで

脳はどういう発達を遂げるのだろうか。

 

この世の中のすべてを体験できるはずもないのだけれど、

私のこれまでの経験では、何かを「体験」することで

それまでに想像していたものとは比べ物にならない刺激を、そこから受けることができた。

たとえばこの目でみる絶景は写真とは比べものにならないし、

たとえば映像を見て感じる程度の恐怖や喜びや悲しみは

きっとその場にいる人物が現実に感じているそれとは比べものにならないのと同じで。

VRによってまるで本物のような疑似体験ができる未来はすぐ近くにきているけれど、

本物を体験した人ならきっと、似ているけれど違う、と言うはずの疑似だけで体験を済ませてしまうことは

「知らない」ということを自覚することで世の中の大きさを想像することや

畏怖を知らずに大人になっていく危うさをはらんでいる。

「知っている」ことと「知ったような気になる」のは全然違うこと。

知らないほうが良いこともこの世にあるのは事実だけど、

知ること、より知ろうとすることによって開かれる世界がある。

予想しえないハプニングや困難には学びがあり、気づきがあって

そういう想定外の事態を乗り越える智慧やタフさを身につけたい。

用意された箱庭の中だけで育てられた想像力は、いつまでもシミュレーションを超えないように思う。

 

子ども向きでない映画やドラマ、芸術作品などを鑑賞するとき、子どもがたいがい退屈するのは

経験が少ないために描かれた意図やリアリティを感じ取ることができないからなんだけど、

人生を重ねるにつれて涙もろくなってしまうのは、作品のそれを自分の経験や考えと重ねることができるからで、

いくつもの体験を経て、同じ物語でも違う立場や角度から見ることで解釈が変わることへの気づきは

多様性を認めること、より多くの人が生きやすい社会をつくることへ繋がっていると考えている。

 

体験したぶんだけ想像力が広がり、知ろうとする気持ちから想像力は高まり、

考えるちからは、そういう想像力から育まれるんじゃないか。

わが子らには、そういう広い視野や感受性が育つように、意識的に声をかけていきたい。

たくさんのことを経験して、悩んで、想像して、試して、考えて、

ものごとを広く深く考えることができる、あたまの柔らかいひとになっていくために、

若いあいだに、それなりに失敗もしておくべきなんだと思う。

外に出ないと失敗も経験もできないので、できるだけ色んなところへ連れ出したい。

 

失敗といえば、庭のユーカリが夏を前に突然枯れてしまい大ショック。

何がいけなかったんだろうと振り返ってみて、

きっといろんな原因が積み重なって結果として現れたんだと思うと、次は何かしらの対策をして

春になったら、また何か新しい木を植えたいと思います。

(アツコ)

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