3/20 道明寺天満宮手づくりの市

2013-3-22

お天気が心配されましたが、なんとか曇りと少しの小雨で持ちこたえ、
終了時間とともに本降りとなった3/20春分の日、
手づくりの市は開催時間前からたくさんの人で賑わい、今回も楽しく出展できました。

いつものことながら、この場づくりの丁寧さ、
段取りの良さとフォローのきめ細やかさに頭が下がります。
そのうえ、主催38_WORKSさんのブログの出展者紹介は毎回とても丁寧で、
それを読んだだけで市を訪れたくなります。

 

飲食ブースはどこも長蛇の列・・・
昼過ぎにはほぼ完売で、色々と買いそびれてしまい残念だったけれど、
普段、出展について行くことがあまりないので、
この日はほとんどの時間をテントの中で過ごし、お客様とのやりとりを楽しみました。

曇っていても暖かだった道明寺天満宮では、桜が咲き始めていました。
アレルギー持ちの夫は、この季節はマスクを手放せず・・・
お客様もマスクをした方が多かったなぁ。
春、
昔は大好きだったけど、最近は春の到来をなんだか素直に喜べないです。

お越しくださったみなさま、お買い上げくださったお客様、
どうもありがとうございました!

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春の雑感

2013-3-14

一昨日、確定申告がやっと終わって一息のところ、前回から2週間後のブログ更新です。
先週は毎日パソコンとにらめっこをしていました。
数年前、少し事務の勉強をしていたことがあって、こういう時に簿記の知識が役立っています。
でも毎回期限の直前にまとめてやるものだから、記憶をたどりつつ、やり初めはもたもた。
会計処理って、調子に乗ってくるまでが大変なんですよね~

そんなことはさておき。

この1年間、あちこち勉強会や講演会に参加して、色々と見識を深めようとがんばったのでした。

「エネルギー」とか「家族」とか「宗教」とか、
「GNH」とか「TPP」とか「ナショナルトラスト運動」とか、
「環境教育」とか「サスティナビリティー」とか「トランジション」とか「パーマカルチャー」とか、

  

うっすら聞き覚えのある言葉から、???から、入口はイロイロで。
どれも表現は違えど根っこの部分でつながるところが多いのでは、という感じ。
まだほんの森の入口で、知識として詰め込んだような状態で消化不良ではあるのだけれど。

昔の私は、難しいことは専門家に任せておけばいいと思っていました。
日々の忙しさにかまけていて、考える時間がないのが正直なところ。
でも、それだけじゃあ納得いかないことがありすぎて、疑問が溢れてきて、
時間の隙間を縫いながら、あっちこっちに顔を出しつつ、
持ち前のクソ真面目さから、踏み込んだからにはやらなくちゃ、という気持ちもあって、
あれこれ首を突っ込みながら、手が回らなさ加減と能力の限界を痛感しつつ、
それでも興味は尽きないのでした。

スローライフとそのスタイルが消費の対象となって久しく、
なんでも経済活動の渦に巻き込まれてしまうことに多少の抵抗を覚えないでもないけれど、でもそれは仕方がないこと。
前向きにとらえてみたら、
丁寧に暮らすこと、それがたとえカタチから入ったとして、
ドレンドとしてのそれは、「○○風」として裾野が広がるほど希少価値は下がるのかもしれないけれど、
そのおだやかさや快適がその人の生活の一部になれば、使い捨てが前提の快適さの追求や、消費のための消費よりも有意義だと思うから、わたし自身を含め、入口はミーハーでいいのだと思っています。

そして、何でもかんでもひとくくり、
カテゴライズされたりしたりのパッケージされた習慣に、強い違和感を感じています。
○○系、○○派、○○族、○○人、
そこに属していれば安心で満足で、
逆に向こう側を指して、あれは○○なのだからこうなんでしょ、の対立の構図。

だからといって、どこかに敵を想定して攻撃したり
あきらめて斜に構えるのも、なんだか違う気がする。
それに流されるのは、きっと自分が正当化されるから楽なのであって。
だからといって、ダメな自分を責めすぎた末に気が病むのも嫌なのです。
「誇り」って、紙一重で、
持ち方を間違えてしまうと大変なんじゃないかなと、何となく思います。
誇りや志に自ら高低をつけてしまうと、そのものさしに自分が犯されてしまうような。
最終的には「楽観的に生きる」という技を身につけるにこしたことはないですよね。

なんだか支離滅裂になりつつありますが、
要するに、わが子を広い視野を持った、深く考える人に育てたいなと思っていて。
そう、考え続けることが大事なのだと。

そのためには、周りの大人がそうでないと、そうは育たないのだろうな。
例えば経済や社会の話題を、
知識をひけらかす(他人の話に耳を傾けない人の強い口調は、そう聞こえます)ための道具としてでなく、
例えば宗教や愛や性や政治の話を、
当たり障りなく誤魔化したり、また茶化すことなく、
そういう話題を区別したり特別視せずに、
知らないなら知らないなりに、自分の頭で考えてみて、質問をして、
自然な会話の流れの中で話し合えるような自分たちであれば、
きっと世の中はもっと生きやすいんじゃないかなと思います。

とある経済学の先生がいう「君富論」なるものは、あなたが豊かでありますように、という考え方であって、
全ての人が実行すれば、世界はより良くなるだろうというもの。
だとしても、それを実践するのは血縁という小さな輪の中でさえ難しい現実。

昨年、いくつかの映画も観ました。どれもドキュメンタリーなのですが。
「カンタ!ティモール」という、10年ほど前の東ティモール独立を支えた、大地に生きる人々のことを描いた、全てが凝縮されたような映画で。
そこで語られた言葉が胸に突き刺さります。

平和、それはお金で買えるものじゃない。
平和は演説じゃない、政策なんかじゃないんだ。
平和とは暮らしそのもの。

命をかけて取り戻したその平穏な「暮らし」がまた、
経済という戦争に巻き込まれていないかが、気にかかります。

子供たちには空気や気分に振り回されないで、
「豊かさ」や「幸せ」や「愛する」ということの意味を、
ちゃんと自分の言葉で話せるような大人になってほしいと願います。

カンタ!ティモール  http://www.canta-timor.com/index.html
( ↑ 5月に滋賀で上映会があります。詳細は後日。)

幸せの経済学  http://www.shiawaseno.net/
モンサントの不自然な食べもの  http://www.uplink.co.jp/monsanto/about.php

ジャパン・フォー・サスティナビリティー http://www.japanfs.org/ja/

先月の、保育園の作品展より。
長男の手仕事が素晴らしくて感激。指編みのマフラーです。

 

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2013年春・出展のお知らせ

2013-3-1

秋に植えたチューリップの球根が芽を出し始め、少しずつ春を感じさせる気候になってきました。
家の前の空き地で、無造作に咲く水仙が可憐です。

 

さて、春のイベント出展のスケジュールをお知らせします。

3/20(水・祝) 道明寺天満宮手づくりの市

4/13(土)14(日) ARTS&CRAFT 静岡手創り市

4/20(土)21(日) 清水アート・クラフトフェア

4/27(土)~5/6(月・祝) 益子陶器市

5/11(土)12(日) 姫路クラフト・アートフェア
 
 
  → 年間スケジュールはこちらから

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ファスナーポーチを試作中

2013-2-27

2月は特に、時間の過ぎるのが早い。もう今月も末です。
今は、鞄の新しいのと、小物を作っています。
その中からひとつ紹介します。

野外イベントでも使える銀行財布です。
これまで幾度となくいろんな形で試作を作り、イマイチの完成度で中断し続けていたのですが、ついに完成しました。

両面ファスナーポケットで、どちらも中に仕切り付が付いて、お札と小銭をそれぞれの小部屋に分けられます。
革が柔らかいのでマチがなくても口が大きく開き、小銭がストレスなく取り出せます。
両サイドのファスナーと持ち手ループが繋がっているので、一度にジャッと開けることができ、
手首に引っかけながら使います。
中央には通帳も入ります。

もう少し手を加えて、近いうちに商品化します。

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チョコレート

2013-2-18

宅配のチラシに冬にしか載らないピープルツリーのチョコを、ふと食べたくなって買いました。
上品なフレーバーで、口どけが良くて、やっぱり美味しい。
乳化剤や植物性油脂が使われていないため溶けやすく、夏は取り扱いが難しいため、寒い時期にしか売ってないのです。
ちょっと高いから気軽には手が出ないのですが、その「高い」と思う自分の感覚や価値観を疑わないと、何事もその奥が見えてこないのだと思います。
毎年、特に気にせず過ごしてきたバレンタインデー用にも注文して、みんなで味わいました。
自分からは年に数回しか買わないので、いただきもの以外で家にチョコがあるのは冬のこの時期だけかもしれません。

チョコレート、
想えば、長男は3歳までその存在を知らず、家で食べたのは4歳になってから。
保育園に通い始めた2歳まで極力市販の甘いお菓子を与えなかったためか、甘いお菓子がそれほど好きでないので、ケーキやクッキーには見向きもしませんが、たまにもらって食べるうちにいつしかチョコの美味しさに目覚めてしまいました。
次男にも3歳から解禁していて、チョコレートと聞くと飛んできます。

身体にいいわけじゃない、食べなくてもいい食べ物。
数あるあまーいお菓子の誘惑に耐えるのは、子どもには難しいから、
その味を知らないほうがいいかもしれないと思うことが、今もあります。

でも、こうやってホンモノのチョコレートの味とそのルーツを知って、
たまにしか食べられない特別なものだと理解したら、冬が楽しみになる。

美味しいと感じるのは主観そのもの。
自分はどういうことが心地良いのか、何を正しいと感じるのか、
これから出会う様々な価値観の中から、自分を形成するそれを選びとるための感覚を養うこと。
そういうのも、食育なのかなと思っています。

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